「なぜ新任教師は命を絶ったのか」残業や叱責が原因? 〝学校現場の問題〟は社会の鏡である【西岡正樹】
■「必死になって議論したことがとても懐かしいです」
この教室にいた子どもたちが成人になった年に、太一(仮名)から手紙が来ました。その手紙の中に次のような文が続いていました。
「先生と必死になって議論したことがとても懐かしいです」
その文を読んでいると、一番後ろの席で口から唾が飛び出す勢いで話をしている太一の姿が浮かんできました。その姿を思いだすと、思わず笑いがこみ上げてきます。
ある研究会で久しぶりにお目にかかった東大名誉教授の佐藤学氏との雑談の中で、「自分の言葉で語らなくなった教師が多くなった」ということが話題になりました。確かに、私が参加したその研究会の様子を見ていても、多くの教師たちは自分の体験や思考を言語化することを、自ら放棄しているように見えました。やはり、教師自らが自分の思いや考えを表現する言葉を持たなければ、子どもたちも自分の言葉で自分の思いや考えを語ろうとはしないでしょう。
もう一度繰り返しますが、学校は、子ども、教師、保護者などなど、様々な思いや考えを持った人たちが集まっている所です。その中で、一人ひとりが生きていくためには「言葉」はなくてはならないものです。この5年生たちを見てください。異なる思いや考えを持った人たちが言葉をぶつけ合い、語り合い、さらに、お互いをよく見合うことで、お互いの程よい距離感を獲得しようとしているのです。また、相手に向かった言葉は、自分にも向かい、そして、自分の体の中に積み重なり発信者自らを育てていく、ということも実感しているのです。私たちが言葉を持つこと、それをぶつけ合うことを面倒くさがっているうちは、今のような状況からけっして抜け出すことはできないでしょう。
文:西岡正樹